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2006年7月  「女性セブン」 掲載分より ~ Vol.5

2006年7月6日
メディア

「母のことがなければ、このまま死んでもいいと」

スティーブンさんのように理解のある男性もいる。その一方で、日本にはまだまだ女性にとって乳房がどんなに大切なものか理解できていない男性も多い。「命があればいいでしょ」「いい年して、いまさらもういいじゃない」――その言葉が、どれだけ傷ついた女性たちに追い打ちをかけているのだろうか。

それでも74才になって乳房再建を果たし、「何才になっても女」であることを改めて実感している女性もいる。橋本カヨ(仮名・76才)さんだ。橋本さんは46才で右胸を切除。ハルステッド手術だったことから、大胸筋を含めて乳房の周りを大きく切り取った。橋本さんは独身で、7人の兄弟がいたが、ひとりがすでに亡くなっていた。そのときの母の嘆き悲しむ姿を目にしていたことから、とても自分の病名を告げられず、「結婚するからしばらく会えなくなる」と嘘をついて入院、手術を受けた。

「母のことがなければ、このまま死んでもいいと思いましたね。それほど胸をなくすのは嫌でした」(橋本さん)当時、乳がんにかかった女性にとって治療の選択肢はひとつ、大胸筋ごと大きく切り取ることしかなかった。いまのように、女性たちが「女性であることの大切さ」を声高にいえる時代でもなかった。もちろん、再建手術も普及しておらず、多くの女性は片方の胸を隠すようにして生活するしかなかった。橋本さんはその後もひとりで暮らし続けたが、あまり外にも出ず、仕事以外は家の中にこもる日々が続いた。「洋服だと胸がないのが目立つので、目立たない和服ばかり着ていました」(橋本さん)再建のきっかけは4年前、シルバーマンションへの転居だった。

「そのマンションには大浴場があるんですけど、胸が気になってはいれない。思い切ってはいるときもタオルで隠して、いじけてすみのほうにいました」(橋本さん)内向的な性格は相変わらずで、マンションの住人がイベントに誘っても、それをかたくなに断っていた。何とかしたい、そう思った橋本さんは、唯一乳がん手術のことを打ち明けていた親友に相談。「友人が再建手術した」という矢永クリニックを紹介された。

そして、周囲に「しばらく旅行に行く」といって入院し、再建を受けた。橋本さんが受けたのは、自家組織の乳房再建だった。お腹の皮膚、脂肪と筋肉を移植して乳房を作った。入院は長かったけれど、これを機に橋本さんは大きく変わった。「自分でも不思議なんですけど、マンションに帰ってきたら、性格が一変したんですよ。

あれほど引っ込み思案だったのに、ほがらかになって、何でも率先してやるようになったんです」(橋本さん)橋本さんのあまりの変身に、周囲も驚いた。彼氏ができたのでは? と噂も立った。「聞かれても、“想像にまかせます”っていってるんですよ(笑い)」(橋本さん)マンションで開催されたスポーツ大会にも参加し、見事優勝した。「スポーツなんて胸を取ってから、ほとんどしていなかったのに。優勝までしちゃうなんてね」(橋本さん) 自家組織を移植したことで、お腹のぜい肉が取れたこと、乳房ができてから胸を張って歩くようになったことで、周りからは「スタイルがよくなった」「きれいになったね」といわれることも多いと、顔をほころばせる橋本さん。 「いま、何をしても楽しいんですよ。私にとっていまが青春なんです。

そう、春から社交ダンスを始めてね、若い先生に教わっているんです。体が軽いし、進歩が早いって褒められたんですよ」これまで多くの女性たちを救ってきた矢永医師。が、こう話す。 「私は神様じゃないので、なくした乳房とまったく同じに作ることはできませんし、左右まったく同じにはなりません。でも、これならいいと納得してくださるところまでいけるように、私は努力してがんばります」 患者の喜ぶ顔が何よりもの原動力という。「そういう意味ではありがたい職業。笑顔があったから、こうして続けてこられたんだと思います」(矢永医師)

今後の夢は? と尋ねると、しばらく考えた後こういった。「乳房再建に関して、もう少し外科医の理解が深まってもらえたらいいんですけど……。だから少しでも多くの医師にわかってもらえるように、訴えていきたいですね」乳がんの患者にも、乳房を再建できることを知ってもらいたいという願いもある。

「再建手術をした患者さんたちが、いま乳がんで悩んでいる方たちのところへ行って、たとえば病棟で、ご自身の体験を話してくれたらいいでしょうね」 女性のみにある“乳房”のふくらみ。その“重み”は、大きさや形に関係なく、女性ならば誰しもが感じていることだろう。彼女たちは、乳房を失うことで失っていたものを、再び取り戻した。“再建”したもの、それは乳房だけではなかった。