「もう私、人間じゃなくなったのかな」
大森さんは同時再建だった。’04年3月に左の胸に3,5センチ大の腫瘍を発見。がんの大きさから全摘しか方法がないと告げられた。たまたま相部屋になった女性が同時再建をすることを聞き、担当医に相談。再建に対して後ろ向きだった外科医を自ら説得し、乳房を手に入れた。しかし、いまでこそ再建手術を受けてよかったと話す大森さんも、同時再建をしてから今のように落ち着くまでは、周囲が想像もつかないような辛い経験をしている。
まず、手術時に入れた組織拡張器が本来の胸の位置ではなく、肩の下ともいえるような高い位置にはいっていたことに、ショックを受けた。 「手術後始めてお風呂の鏡でなくなった胸を見たときには、泣きそうになりました。“もう私、人間じゃなくなったのかな”って」(大森さん) 矢永クリニックで矢永医師から説明を受けたときも、「(再建が終わるまで)1年はかかると聞き、気が遠のいていきそうになった」という。さらに“異物”がはいっていることへの違和感や、がんの手術をしたことによる不安と落ち込みから、心も体も限界だったのか、過呼吸症候群や帯状疱疹にも罹った。
何度もくじけそうになった大森さんを勇気づけたのは、夫と2人の娘の励まし、そしてもうひとつ、余白に携帯電話番号が書かれた矢永医師の名刺だった。初診のとき、不安そうにしていた大森さんに、「気になることがあったら電話して。何時でもいいから」と、渡してくれたものだった。不安や異物感などに限界を感じた大森さんは、何度も「(エキスパンダーを)出してほしい」といった。そのたびに矢永医師は「出すのは簡単なの。でも、明日までガマンしてみましょうよ。それで、どうしても無理だったら、明日出しましょう」という。「それで、翌日まで頑張ると、もう少し入れておこうかなって(笑い)」(大森さん)そして、最初の予定より早く、半年あまりで大森さんの再建術は終了。
当初は肩の下に無造作に入れられただけのエキスパンダーは、見違えるほど美しい乳房へと変容した。「乳輪と乳頭ができてから初めて鏡を見たとき、思わず、“うわー”って。すごくうれしかった。夏場は着ることができなかったTシャツが着られるようになったんです。家族も私が元気になって、喜んでいます」(大森さん)
女性が胸をなくすということはどれだけ酷で、辛いことか。摘出手術を受けた多くの女性を見てきた矢永医師は、それを知っている。だからこそ、患者を勇気づけ、励まし、できる限り安心して施術を受けてもらえるように心を配る。しかし一方で、それほどの辛い思いを抱えているにも関わらず、なかなか乳房再建に辿り着けない女性も多い。それはなぜか。ひとつに経済的な理由が挙げられる。乳房の再建手術をする場合、一部の治療法には保険が適用されるが、多くは自費診療になってしまう。一般的に100万円以上といわれているが、施設によってはかなり額に差がある。海外では何100万円とかかるという話もある。
しかし大森さんもこのクリニックで治療を受けた別の女性も「100万円はしなかった」という。もうひとつ、大きな障害となっているのは、乳がんの再発に対する誤解である。その多くは大森さんのように「再発が発見しにくくなる」と担当医に反対されるケースだ。矢永医師は、「これは昔のイメージで、必ずしもそうではないんです」という。「人工乳房は大胸筋という筋肉の下にはいります。局所再発は筋肉の上に発生します。ですから人工乳房の存在により局所再発の発見の妨げになることはありません。人工乳房の場合はむしろ、薄い皮膚の下は人工物なので、万が一しこりができたらポッコリと出ますので、逆にすぐにわかるんです。
また、いまは画像診断が発達していますから、定期的にMRIや超音波診断(エコー)をしていればちゃんと発見できます」 しかし、いまも昔のイメージを持ち続け、再建を望む患者にやめたほうがいいという外科医も少なくないという。命の代わりに乳房を諦めなければならない。そのことに釈然としない思いを抱え、落ち込んでいく女性も多いのだ。